ワンポイント技法編
質問やご意見等ありましたら、メールにてお知らせ下さい。
 
【特別感謝】
・掲載内容の幾つかは、冬舟様初め皆様のアドバイスを参考にさせていただいています。

・このページに掲載された内容は山崎祥琳の私見です。この文章に置いて発生するいかなるトラブルにも責任は持ちません。
 
採用させて頂いた方々
冬舟

作品別
白衣観音
仁王
彫り方や各種技法
仏像の重心は何処?
男女の彫り分け  NEW
重力の法則(粘土と木彫)
解剖学的理解と芸術性
仏頭
逆戻りの仏頭  
仏手   
粗彫りの注意点
首と怒り肩 ・ なで肩
お顔を彫る時期は?
白毫の位置は
写真資料の活用とひずみ
衣紋のリズム、基点と流れ
デッサン力の大切さ
イメージは力  NEW
皆様から頂いた技法
筆むら
表面処理とサンドペーパー
各種 彫刻刀の使い方
   
   
   
   
   
   
   

 
作品別
 
白衣観音
白衣観音を作る上で大切なことの一つは、そのシンボルである白衣をいかに流麗に表現するかという点にあります。しかし風に大きくなびく衣を意識しすぎて、重くなってしまわないように。また、衣の下に包み込まれている体を無視すると彫刻として破綻しますが、あまり意識しすぎると露骨になったり、人間くさくなったりして、爽やかさや美しさがとんでしまいます。また乳房など女性的イメージが強すぎると過度に官能的になります。それらをどのように融合させるかが作者の意匠と言うことになります。
白衣観音の場合はどうしても鑑賞の対象という性格が強く表現されがちです。あくまで「仏像=信仰のよすが」だということを忘れないようにしたいものです。彫刻の場合、お顔や胸を傾けたりすると、信仰の対象の仏像という感じが薄らぎますので、例外を除いて、やはり正面を向け、衆生の願いをしっかり受け止めてくださる「み仏」として表現して欲しいと私は思います。
 
仁王
仁王さんに代表される天部などの暴れものといえど、基本は観音様の様な「休め」をしたときの体のポーズにあります。つまり、しっかりと引き足に体重をかけ、出し足には体重をかけないようにすると表現しやすいです。松久宗琳先生の作品の様に両足加重にすると未熟な私はうまく作れません。極端な言い方が許されるならば「足がすべて」と私は思っています。
 髪の毛は中国の弁髪のように、頭頂部で髷を結っています。小さな髪飾りを付けたり、髪飾りの紐が大きくたなびいている例もありますが、像全体のリズムを壊すことのないようにしましょう。胸部や腹部などの筋肉は極限まで強調した表現をしますが、私は筋肉の誇張表現があまり好きではないので、柔らかく表現します。
 腕や大きく風をはらんだ天衣(天衣はつける場合とつけない場合がある)などバランス大きく左右する要素がいくつもあるので、納得がいくまで、デッサンを繰り返してから造像されることを勧めます。お顔は怖いだけでなく、慈悲も表現したいものですね。腰巻きのような衣は、基本的には観音様の裳と同じ考え方ですが、短めに表現し、風をはらんで、大きく脇にふくらみます。巻き終わりは股の中央です。

 
彫り方や各種技法
 
仏像の重心は何処?
 基本的にはかかとに体の重心が乗るような考え方で作ります。特に腰をひねっている観音は軸足のかかとにしっかり重心が乗るように。仁王なども同様に軸足に重心をのせた方が動きと安定性の両方が出てきます。
 天衣などが横にたなびいている場合は、実際の材料における重さと、仏の天衣(重さを感じない)との兼ね合いが難しいところです。
 
重力の法則(粘土と木彫)
 小学生の頃、粘土細工の最中に、いつの間にか腕や顔などが粘土の自重で下の方に垂れ下がってしまった、などという経験をお持ちのことと思います。しっかりした芯を入れないとそれは防げません。
不思議なことに、木彫の場合も同様の現象が起こります。私は「重力の法則に従って垂れ下がる現象」と教室では説明しています。
 どうしても斜め上から見下ろしながら仏像を削ることが多く、油断するといつの間にか気付かぬうちにお顔や胸などが下がり気味になってしまうのです。この手の失敗は他人から指摘されて初めて気づきます。そうならないようにいつも斜め下の方からもしっかりと意識しながらたっぷり時間を掛けて彫り込んでおく必要があるのです。ちょうど人間の場合もバストUPやヒップUPが大切なことと同じですかね。重力に逆らうのは大変です(笑)
 
解剖学的理解と芸術性
 現代彫塑に取り組んでおられる方々は皆しっかりした人体構造(筋肉や骨の状態)を学んで取り組んでおられます。ところが仏像彫刻を手掛ける方には残念ながらその方面の知識が全くない方もおられ、仏像彫刻は芸術ではないとか、レベルが低いと言われてしまう原因の一つにもなっているようです。また、仏像彫刻は模刻だけの創造性のない作業だとも言われています。我々はそれらのそしりを心に受け止めて、しっかり研鑽する必要があります。 そんな高度の芸術性をお持ちの高名な現代彫塑家の中には、手慰みなのかアルバイトなのか、造られた仏像が、私のような未熟な者から見ても、驚く程初歩的なレベルで破綻を来しているものがまま見られるのです。彫塑作品はきちんと造るが、仏像はいい加減でよいのだ、とでも言わんばかり。デフォルメと手抜きの違いは誰が見ても判ります。高村光雲・平櫛田中・沢田政廣・北村西望などの大作家にはそのような甘い仏像は皆無です。
 【仏像の構造】仏像は仏教のよすがになるべきものですから、その構造は人体構造を基盤にしつつ、深遠なる仏教精神をプラスした一段階レベルの高いものでなければなりません。1例を上げれば、現代彫塑の場合、とりわけ足をしっかり造られているように思えます。重量感・存在感を確実なものにするためなのでしょうか。しかし仏像の場合は逆に足を小さく重量感をあまり感じさせぬように造ります。これは仏師に近代的な芸術理解が不足しているからではありません。み仏が空中に忽然として現れらた姿を表現したり、細い茎の蓮の花に座しておられるのですから、重さを過度に表現してはいけないのです。リアリズムを越えた表現性が必要です。
 このように、仏像は高度な芸術的計算と仏教経典の深い精神によって裏付けられた作品であるということも知って頂きたいのです。
 
仏頭
 仏頭は永遠の課題、誰でもみ仏のお顔(とりわけ目を)見つめてお参りしますので、誠心誠意思いを込め、研鑽を重ねたいものです。何と言っても品位(慈悲と智慧の象徴)あるお顔であることが最も大切なみ仏の条件です。細面であろうが丸顔であろうが、品位が高ければ心の底から拝めるものです。その逆はいかに技巧的に優れたものがあっても、合掌する気持ちにはなれません。どのようにしたら、飾り物や投機の対象物ではなく、心から礼拝に値する品位ある目や口を作れるのでしょうか。他の仏師がそうであるように、私も自分なりのセオリーを既に言葉に置き換えて確立しているつもりです。しかし、仏師によりその流儀も微妙に異なります。最初のうちは自分の師匠のやり方を徹底的にマスターされることを勧めます。そのあとでオリジナルの考えも徐々に入れ込むのが、素敵な仏頭を造るための最も速い道でしょう。
 セオリーとして確実な言葉に置き換えてテクニックを理解すると、大きな仏像でも小さな仏像でも安定した造りになります。耳障りは良いのですが、「感性」のままに造ると不安定な作品になります。感性の落ち込んだ時に造られた仏像は惨めなものです。   
逆戻りの仏頭             
仏頭造りのセオリーを何度も入念に教えて差し上げて、しっかりマスターされたはずの方が、技術的に逆戻りをされることが往々にしてあるのです。
いや、はっきり申し上げれば、暫くすると、稚拙なお顔に戻ってしまうことが非常に多いのです。
教えて差し上げる側からすれば、「あれだけ理論的に説明して差し上げて、納得されて素敵な仏頭が造れるようになったのに???」と、一体どうして、逆戻りされるのか理由が判らないのです。
お顔にも好きずきがあって、その方にとってはそのお顔が好みなのだな?と思ってもう教えなくなります。
彫塑等を少し経験されたことのある方程、その傾向が強いように思えてなりません。なまじオリジナルの世界に身を置いた方は、手強いですね。
それに比べ、今まで全く経験の無かった方は、私の教えて差し上げたことをベストだと思ってくださるので、技術的逆戻りがあまりありませんし、もしそのような傾向が出たとしても、注意すると素直に聞き分けてくださるので、すぐに改善されるのです。妙な自信の無いことはとても素晴らしいことですね(笑)。
仏手        
 仏像彫刻を何も知らない入門当時、私は仏手を作るのが好きでした。お顔もさることながら、仏手は非常にデリケートで仏の心を如実に表していると思えたからです。その後、仏手の印相は、御仏の精神を表しているということを知り、一人うなずきました。
 仏手の基本は開き手にあります。開き手がしっかり作れる人は、どんなポーズの仏手もまちがわずに作れます。しっかりマスターしましょう。
 開き手のポイント。@中指と薬指の間隔を左右に絶対に開かないこと。開くと下品になります。A1尺より小さい小像の爪は無理をして作らなくても良い。指の優雅な流れを壊さないで作れる自信が有るならば、爪を作っても良い。B多くの場合、手首は少し曲げた方がさまになる。手首を腕とまっすぐに(直線的に)すると作品が下手に、素人臭く見えます。
 大日如来の智拳印などは最も難しい仏手の代表でしょう。粘土で一度作ってみてから、木彫をするのも良いでしょう。
粗彫りの注意点
 小さい作品の場合は、まず四角柱で木取りをしますが、いつまでたってもその四角柱の段階から抜け出せない人が多いのです。豆腐に目鼻とか鉋に目鼻、などと言われるように、例えばお顔などはいつまでも絵画的な平面表現になってしまいがちです。
 粗彫りの段階で最も大切なことの一つは、斜め方向から強烈に削り取ることです。教室における、添削の大半はこの斜め方向からの削り不足を指摘するものです。斜め方向からしっかり取れる人はあらゆる角度から的確に取ることの出来る人です。正面からばかり造るのではなく、斜めや後ろ、また下からも意識的に削りましょう。
 
首と怒り肩 ・ なで肩
 肩と首の関係は、非常に大切です。多くの方の作品は怒り肩か、なで肩のどちらか一方になっています。なかなかちょうど良い具合には造れません。
 仏像の場合は人間に比べると少し肩を豊かに(高く)造らないと、頼りない感じがします。とりわけ座像の場合は肩の豊かさと美しいカーブを描くように大切に表現したいもの。首の付け根の部分の処理が大切です。
 天部などの場合は、首がめり込んでいるような感じに表現すると力量感が出せます。やはりこれも首の付け根が大きなポイントでしょう。
 
お顔を彫る時期は?
 初心の場合や、なれない像を造るときには、安心感や手がかりを得たいために、どうしてもお顔を速く造り過ぎるきらいがあります。実は私もそうです。すると、どうしても像のバランスが崩れ、もう一度お顔を作り直さねばならないことになり、2重3重手間になってしまいます。時には取り返しのつかない程バランス的に破綻してしまうことさえあります。お顔をまず塊として捉えたあとは、なるべく他の部分と同時進行で仕上げるように努力しましょう。目鼻は最後に造る気持ちで。
 
白毫の位置は
 白毫の位置は額の高い部分や低い部分など、像によりそれぞれのようですが、下記のような位地に取り付けると無難でしょう。
 お顔の中心線から絶対にはずれないこと。中心線から左右にはずれた白毫をつけた仏像は滑稽で拝めません。左右の眉の最も高い部分を結んだ線と顔の中心線が直角に交わる点に白毫を乗せるようにします。
 
写真資料の活用とひずみ
 カメラのレンズの特製があって、一般的には中央部分が膨らんで写っていることが多いので注意が必要です。写真は必ずしも資料的な真実(実際の寸法配分とは異なって写るということ)を撮してはいません。とりわけ、グラビア写真など、芸術的に仏像をとらえたものはほとんどそうでしょう。
 そうと知りつつも、うっかり写真のイメージのままに像を造ってしまい勝ち。実際はもう一回りスリムな場合が大半だと考えても良いでしょう。
 撮影するときには、なるべく焦点距離の長いレンズ(望遠)で離れたところからUPして撮すと彫刻としての「資料性」が高くなります。但し、奥行き・立体感は無くなってしまいますけれども。勿論、各部分のUP写真はその限りではありません。
 
衣紋のリズム、基点と流れ
 天衣・裳・袈裟などの衣紋は一定の法則に従って整然と表現されています。例えて言えば、2重・3重のネックレスを首に掛けたときは、綺麗な放物線を描きますが、それと同様に、2つの基点を結んで美しい放物線の状態で表現されています。どこにその基点があるかということが最も大切な問題です。腰巻きのような裳においては、腰の位地に5カ所の基点があります。(3カ所が前、2カ所後ろ)更に風を受けたりして一見複雑に見えますが、判ってしまえば単純です。
 しかし、衣紋にはもう一つの大切な役目があります。それは体の存在感を表現するということで、足や手などを太く見せたり、細く見せたり、長く見せたり短く見せたり、実に表現力が豊かです。
 
デッサン力の大切さ
 「初心者に知って欲しいこと」で述べた、絵心はなくても・・・というのは、なまじ絵画力があって鼻にかけるより、謙虚に指導者の助言に耳を傾け、正確な寸法取りなどに気をつけることがとても大切だという意味です。
 絵画や彫刻では、デッサン力の欠如は技術的向上を目指す人にとって、致命的な欠陥となります。いわゆるバランスが悪い作品や、どこか変な形だなあ!という印象を受ける作品は全てデッサン力の不足がもたらすものです。彫刻教室の先生が生徒にアドバイスする大半は、このデッサンの狂いについてです。先生は卓越したデッサン力を持っておられるわけですから、先生を信じて指摘された箇所は素直に手直ししたいものです。時折、「絶対に私の作品は狂っていない!」と頑張る方がありますが、そうなると手がつけられません。
 お化粧をするときに、眉を左右対称に描けるかどうかもデッサン力です。デッサン力は訓練によって飛躍的に向上進歩します。
 まず、デッサンの狂っていない完璧な先生の作品をいろいろな角度からしっかり見ること。名作のイメージがしっかり頭に入れば、デッサンの狂っているものも自然にわかるようになります。下手な作品をインプットしてしまったら自分の審美眼も自動的に狂うことになります。よき師に巡り会えるかどうかは決定的です。
 デッサン力は客観的に対象物を見る力が土台でもありますから、ごく簡単な飛行機や舟(ボート)の斜め方向からのイラストを描く練習をされることを勧めます。描き終わったら、鏡に映して見ると狂い・ゆがみがはっきり判ります。次に人物の練習です。手足などの関節をしっかり意識したイラストをいろいろなポーズで描いて鏡に映してみます。仏像彫刻も同じこと。何度も何度も鏡に映しながら(自分の像を客観的に見ながら)作業しましょう。私は作品を逆さまに映したりもしますが、鏡に写った像もそのうち見慣れてくると、感覚が麻痺してしまいますので、そのときは家族や友人などの「他人の目」で狂いを確認してもらいます。
 作品をいつも見えるところに置いて、少し遠くから眺めてみましょう。ふとした瞬間にデッサンの狂いが発見出来るものです。自分の作品をじっくり眺めるのも大切な作業です。
 論理的に「言葉」でにデッサンの狂いを是正することも必要です。いわゆる寸法取りを大切にするということで、髪の毛の生え際から足の裏までを10等分して、胸幅は二ツ・・・膝張りは五ツ・・・、等と体のサイズをある程度規定された寸法に忠実に作ると、うまくいきます。そういった寸法取りを正確な言葉に置き換えて理解しておくと、大きさの異なった像を造るときにも倍率を適応すれば良いわけで、誰でも正確に大きい像が作れるわけです。
 道具選びでも同じことが言えます。1尺仏で2分の丸刀を使う箇所は1尺5寸仏なら3分の丸刀を使えばよいわけですが、これがなかなか出来ません。小さな刀を用いてばかりいるとバランス破綻の原因にも成ります。
 仏像の美しさは、いろいろな要素から醸し出されるものですが、デッサン的に破綻のない像は必然的に美しい作品になります。安易な自己満足だけの狂った作品を作っては、み仏に失礼です。
イメージは力  (掲示板より)  NEW
仏像彫刻は理論化出来ると言うのが私の考えですが、
しかし、反面、「思えばそのようになってゆく」ということもあります。
しっかり心にイメージできれば、作品も自然とそのように出来上がるから不思議です。
まるで自転車の運転のようだと思います。進行方向(行きたい方向)に目が向けば、自然にハンドルもそちらの方に向いてゆくものです。どちらの方向に行きたいのか、つまりどんな仏を造りたいのか、その方向性をしっかり持つことが大切です。
私の言う「イメージする」、とは「ぼんやりと思い描くこと」ではありません。現代的に言えば寧ろ正確にシミュレーションすると言った方が良いのかもしれません。
これから造ろうとする仏のイメージを心に確立出来れば、ある意味で既にその仏様は完成したようなものです。
あとはそのイメージの通りに彫りだしてゆけばそれでいいのです。
この場合、あくまで論理的な技法に乗っ取っての彫りだし作業であって、私の場合は『埋もれておられる御仏をお迎えする・・』と言うような高度なものではありません。木の中に御仏がおいでになるのであれば、誰が彫っても立派な御仏が表れたまうわけです。しかし私の場合は、イメージが確立しないと上手く彫り出せません。

「イメージする」ということはなかなか難しいことです。そのためには図面を描くことをお勧めします。つまり正確な設計図を描くことができるようになれば、複雑な形状も正確に彫りだすことが出来ます。
前後左右の方向から正確に描けるようになるまで、デッサンを繰り返してイメージを確立させましょう。
鉛筆と消しゴムはイメージ確立の為の大切なパートナーです。
あとはトレーニングをすることで身につけた技術を駆使して、淡々と彫りだせばよいのです。

男女の彫り分け (掲示板より)  NEW
仏は男女の性別などを超越した真理そのものですからすから、男女にはこだわらないはずのものですが、実際に表現する場面になると、如来はやや男性的に、観音などの菩薩はやや女性的に表現します。天部では尚一層その傾向が明確になり、毘沙門天や仁王などと、弁天や吉祥天などとは明らかに彫り分けをします。

○骨格・体つき の彫り分け
いわゆる「女らしく」「男らしく」をイメージをしながら造りますが、なで肩でX脚気味に造ると女性的、怒り肩でO脚
にすれば男性的になります。しかしあまり乳房などの表現に力を入れすぎないようにしたほうが仏としての品位が高くなります。
○お顔
顎回りを華奢にして唇をほんの少し小さめにすると女性的に、逆に、顎回りや鼻をがっちり豊かに作ると男性的になるようです。男性的に造る場合でも美的でないといけませんし、不動明王のようなお顔でも、慈悲の「美しさ」を表現したいものですものですね。

決定的な決め手は髭を描くと男性的になるかな(笑)

 
皆様から頂いた技法
 
筆むら    冬舟
ネオカラー、やアクリル絵の具の筆塗りだとどうしてみも筆むらができてしまいます。私の考えでは塗る、というより染めると考えてます。そのためにはどうしたらようか、私が行ってる技法はこうです。オイルステン(木製品にタオルなどに染み込ませて木をこすることにより、染めることができる)。オイルステンは水分が蒸発し色だけが残る。同じ方法で水生塗料ですると、シンナーなどと違い水分が蒸発しずらい。私はシンナー【エナメル】に塗料を混ぜて染み込ませます。塗るのではなく染めるのですから混ぜる塗料の量はかなり少なめにします。ほとんど色のついたシンナーになります。濃さの調整は同じ木のあまりで試して調整してください。
 
表面処理とサンドペーパー    冬舟
極彩色の場合はペーパーがけは必要です。金箔の場合はペーパーがけの方が重要。これがいい加減だと金箔が綺麗に見えない。淡彩色の場合は木地仕上に近い分ノミ仕上の法が味わいがあると思います。ペーパーをかけた後は何らかの工夫が必要だと思います。白くにごり陰影がなくなりのっぺりとした作品になります。
  
各種 彫刻刀の使い方    冬舟
髪のスジは△刀です、木彫りの場合衣紋の彫りは小刀でV字に彫り△刀は使いません。
木は逆目がおきますから、△刀は粗彫り以外使いません。
△刀は30度、45度、60度、90度とありますが、良く使うのは45、60度でしょう。
サイズは5厘、1分、2分のモノをよく使用します。
△刀は研ぎが難しいといわれますが、平刀とあまり変わりません。
コツ、慣れだと思います。
目の仕上には時計用ドライバーを研いだものを使用します。
デザインナイフより使いやすいです。
目の彫りは仏像フィギア共3厘の○刀で彫ります。この方法だと目の彫りは失敗がありません。
爪はサイズもありますが浅○刀でしゃくれば早くほれます。この場合3厘の○刀も使います。
その場にふさわしい道具を的確に用いることで、格段の効果が上がります。
しかし、道具を作るのも手足のように扱うのも最終的には使い手の技量でしょう。




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